其の二十一 「父親の話」

 
こんにちわ。古賀です。
9月に入ってからの方が暑い気がしますね・・・。
でも、それも吹き飛ばすくらい頑張っていきましょう!

吹き飛ばすくらい、と言えば古賀塾の生徒達。今、私は世界柔道で大阪に来ておりますが、将来、古賀塾からも何人かの選手達が入ってくれるでしょう。そのくらい、最近の皆の成長は著しいです。

古賀塾も小学生以下の募集を一時ストップしていたのですが、本人のやる気と親御さんのご協力、と言う点を条件に再度募集致しますので、真剣に取り組む気のある方、お待ちしております。

さて、その親御さんの話ではないですが、今回の人生一直線は「父親」についてです。

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 小学生の頃は六年間で、引っ越したことなどにより計四回通った柔道場が替わった。それぞれの道場には各々指導者がいたが、この時期、私にとっての指導者は父だと思っている。

 非常に言葉少ない父だったが、子供が興味を持つことに対しては協力を惜しまない人だった。父も母も非常に自分達兄弟が柔道をやることに協力的であったし、両親のそういった協力がなかったらその後も柔道を継続できたかどうか疑問である。

 道場での練習は週五日。引っ越した関係上、車でしか通えない道場にも毎日片道30分以上をかけて送り迎えしてくれた。柔道の経験者でもあった父は道場に行く前には予習を、道場から帰っては復習を手伝ってくれた。

 道場での練習を父は無言だが真剣に見ていた。そして、帰ってくるまでの30分間の車内では父なりのアドバイスがあった。

 いい練習をすれば、帰りにご褒美としてアイスクリームを買ってもらうことが嬉しかったのをよく覚えている。だが、父が満足しない練習だと、帰りの雰囲気がピリピリしていた。

 ほとんど無言に近い状態で自宅に帰り、家で復習として「稔彦、もっとこうだ」と父を空いてに柔道の復習に取り組んだ。

(つづく)

『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 10月2日)


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