其の二十七 「講道学舎での生活」


 みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

みなさんはどんなお正月を過ごされましたか?
古賀塾では稽古初めに餅つき大会をやりました。(写真館参照)
皆、遊びの中にも真剣さがあり、それぞれ学ぶことがあったのではないでしょうか?

思えば、昨年の4月に古賀塾を開塾して以来、子供たちの成長には目を見張るものがあります。やはり、集団の中での生活や、あるいは真剣な稽古の中で、今までに経験をした事のなかった事を経験し、それを乗り越えていったからこそだと思います。柔道に限らずだと思いますが、やはり技のみではなく、同時に心も鍛え、成長させる必要があります。

今回は、私のその心の成長を促した事の一つ、講道学舎での生活について書きたいと思います。

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 当時、三階建てだった学舎は、一階に道場、食堂、風呂があり、二階が各個室。

 三階には運営母体である潟_イニッカの社会人相撲のための土俵があった。寝起きをする部屋は個室ではなく基本的に一室二名。私は先に入舎していた兄と同室となった。

 傍から見れば、練習の厳しさだけでなく、講道学舎の生活自体が厳しいものに映るかもしれない。だが、自分としては親元離れて生活することで、勝負とはまた別の精神的な自立が芽生えてきたとも思う。

 毎朝、5時40分に起床。
 基本的には炊事、洗濯はすべて自分達でやる。
 そこから約一時間の技の研究などトレーニング後、食事を摂り登校。

 中学は近くにあった公立の弦巻中学、高校は私立世田谷学園に受け入れてもらう態勢があった。
 高校時代は学校の柔道部にも在籍していたがほとんどは講道学舎の生徒だった。一応、学校にも柔道場があり、一般生徒の部員もいたため学校で一回練習をし、学舎に帰ってきてからさらに約二時間の稽古が待っている生活だった。

 わずか二時間と思われるかもしれないが、練習を開始して二時間後は立っているのがやっとという状態だった。

 現在は伝統もあり、全国から柔道の英才教育を受けるために入舎してくる子供が殆どだが、私はホームシックにならなかったが、よく布団のなかや押し入れから泣き声が聞こえてくることも多かった。不思議と東京に近い所から来ている生徒のほうが親離れできずにいたように思う。

 近場に親が住んでいる生徒は、土日になると親が練習を見にくることも多かった。日曜日は午前中の練習が終わると午後から休みだったので、午後は親と一緒にどこかに出かける生徒もいた。

 日曜日の夜、親たちは帰る。
 考えてみると泣き声は日曜日の夜に聞こえてくる事が多かったように思う。
 自分の場合は九州から親が来ることはまずなかった。そういう点で里心が芽生えなかったというのもあるが、それ以前に既に勝負の世界に魅せられていたと思う。

(つづく)

『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 1月31日)


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