其の三十 「自分で考え、自分で切り拓く」


 皆さんこんにちは、古賀稔彦です。

今年は大忙しです。アテネイヤーという事で合宿、遠征が相次ぎます。また、それにともなって何かと番組やメディアへの出演も多いです。

4月にはNHK教育テレビの「からだであそぼ」4/5〜4/15の間、子供たちに身体感覚を教える、と言う事で出演いたしますし、今後広告にも出演していく予定です。

ところで、古賀塾では毎月個人の目標とは別に、道場全体のテーマを決めて、全体的にそれを意識して稽古に取り組んでいます。例えば先月は「一生懸命」だったのですが、今月は「自分を追い込む」に設定しています。「自分を追い込む」と言うのは、人に言われてできるものではありません。自分で自分に課した目標でなければできない事です。これができない選手は強くなれません。今回は少しそれに関係した内容です。

=======================================

 既に高校三年の段階で金鷲旗大会団体戦では大将として優勝を経験し、インターハイ個人では中量級で優勝、フィンランド国際優勝、全日本新人体重別選手権優勝といい成績を残すことができた。その当時の高校柔道界のなかでは注目されていた選手だったので、大学に進学する時には実に多くの学校から勧誘の声をかけていただいた。

 当時の大学柔道で強豪と言われる名門にはありがたいことに行こうと思えばどこでも行ける状態だった。だが、自分のなかで問題としていたのは、柔道の強豪大学には昔有名だった、強かった指導者がいることだった。そういう大学に行ってしまうと自分の柔道ができなくなると思っていたのだ。

 すでに講道学舎での指導のなかで、道は自分で切り開いていく、自分でレールは敷いていくものだと教わっていた。ゆえに自分の柔道は自分で作っていきたい、と思っていたのだ。

 そこで、私が選んだのが既に兄も進学していた日本体育大学だった。その当時の日体大は過去に実績を残した指導者がいなかった。
「ここだったら自分の思う自分の柔道を思う存分にできる」
そう考えて進学を決めたのである。

 考えてみれば子供の頃から、そして、中学、高校と自分がいたのは強制されて練習をやる環境ではなかった。自分で自分の目的に向かってやっていく−まず、その気持ちがなければいけないという環境だった。

 ある種、その習慣が身についていたため指示を受けて動くのがすごく嫌だった。

「おい、早く練習やれ!」
「あいつと練習やれ!」

などと言われようものなら一気にやる気をなくす。

 指示をされなくても自分は誰よりも強くなろうと思っている。そういう自信があった。

 これも、自分を良く知ってくれている恩師・吉村先生に言われなければどんなことでも素直に聞けただろう。だが、あまり知らない人、それが過去にどんなに実績を残した人であろうと「おいやれ!」などと言われると、非常に嫌悪な感覚を覚えた。選手本人に考えさせるアドバイス的な指示と、命令的な指示は違うのだ。

 もし、私が日本体育大学ではなく、その他の名門、伝統のある大学に進学したら、その後の柔道人生は大きく変わっていたかもしれない。

 どうしても和を大切にするチーム作りが主体となり、指導者が「これをやれ」と言ったら全員が一緒に行動しないと指導者も納得しないし、チームの和も乱れる。

 だが、当時の私は常に一匹狼のような気持でいたように思う。周りの人からどう思われていたかはわからないが、周囲を気にするより、ただ強くなりたい、そのためには自分はどうすればいいか、とだけ考えていたように思う。

 ゆえに、一年生当時に四年生を相手に練習する場合であっても、何一つ気を使うことなく練習ができたように思う。

 もちろん、私生活になれば、体育会系特有の先輩後輩の関係は自分なりに考えて行動していた。だが、練習でしっかり自分を出していれば、意外と私生活においても先輩達に可愛がられるものだ。

 特に私の場合、兄が三年生、私が一年生という環境も良かったと思う。大学の体育会で三、四年に知っている人がいれば一年生はある意味で楽だ。

 兄も既に大学で力のある選手だったため、その弟となれば「強い弟が入ってきた」ということで優遇とまではいかないが特別視されていたかもしれない。

(つづく)

『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 3月31日)


「人生一直線」コラム一覧に戻る