其の三十一 「兄からの伝授」

 皆さん、こんにちは!古賀稔彦です。

稽古中、随分汗をかくような季節になってきましたが、みなさんはいかがでしょうか?季節の変わり目で風邪とかひいていませんか?

今年はアテネオリンピックの年、と言う事で全日本の合宿が多いです。8月の本番に向けて月に1〜2回のペースで行われていきます。

古賀塾もいよいよ明日で(4/1)、開塾一周年です。それぞれの子供たちの成長ぶりが何より嬉しいです。今、全日本チームに入っている選手達、そしてもちろん金メダルを獲った選手達にもこう言った時代があったのです。

今回は、私にとって、オバケ(今でもダメなんです・・・)と同じくらい怖い存在だった、兄貴と言う師匠の話をしてみたいと思います。

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 兄は私にとって子供時代は最も恐い存在だった。と同時に憧れの対象でもあった。

先に講道学舎に進んだ兄は前コーチの岡野功先生に背負い投げを教えられ、すでに得意技として、試合では常に自分より大きな相手を投げていた。小学生当時の自分の背負い投げは低い姿勢から片ヒザを畳について相手を下から担ぎ上げる形のものだった。

 だが、兄の放つ背負い投げは立ったままの姿勢で相手を投げ飛ばす強烈なものだった。相手は空中に弧を描いて畳に叩きつけられる。子供ながらに(自分もああいう背負い投げができるようになりたい)と思っていた。

 あれは、講道学舎に入って間もない頃だったように記憶している。

ある夜、道場でひとり鏡に姿を映して背負い投げに入る足の位置や肩の高さを確認しながら練習をしている兄を見ていると、
「稔彦、お前のように膝をついた背負いでは、絶対に大きな相手を投げられんぞ。これからは立った姿勢で投げるようにしてみろ」

私と同様に小柄だった兄は片膝をつく背負い投げでは、相手が体勢を低くすれば防御され、特に自分より大きい相手には通用しないことを感じていたのだろう。

 「俺にも、兄ちゃんの背負い投げ教えてくれ」
 即座に答えていた。その翌日から兄との背負い投げの練習が始まったのだが・・・・・・。

 今思えば小学校を卒業して間もない子供がするような練習とは言えないようなハードなものだった。兄との練習は見て覚えろ、というものではなく、身体で覚えろ、というスパルタ式だった。最初に足の位置や身体を入れるタイミングなどを、何故こうするとよいのか、と理論立てて教えてくれる。そして組み合っての練習となる。

 だが、既に二年間も講道学舎で柔道に打ち込んできた兄とは歴然としたレベルの差があった。しかし、兄は容赦しない。基本に厳しく、自分が少しでも基本から外れた形になると、「そうじゃねえだろうが!」と厳しく声が飛ぶ。そのまま、背負い投げで畳の上に叩きつけられる。立ったまま相手を投げる背負い投げは足腰が必要とする筋力が全く違った。頭の中で兄の言う理屈はわかるのだが、身体がついていかない。

 「馬鹿野郎!」
 「なんで出来ないんだ!」

 兄の声はひときわ大きかった。練習中は道場全体の空気がその罵声で凍るような感じになる。正直に言って、兄との練習には恐怖を感じていた。早く技を覚えてこの恐怖から逃れたい、と考えていた部分もあったのだろう。それから毎日のように兄に投げられ続け、背負い投げが自分の技として感じられるようになったのは中学二年になった頃だと記憶している。


『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 4月15日)




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