其の三十四 「指導される側の感受性をナメてはいけない」

 こんにちわ。このコラムがアップされている頃には、私はルーマニアでヨーロッパ選手権の視察に行っている頃ですかね。

いよいよアテネ五輪が近づいてきました。無事、男女ともに各7階級で日本の代表選手が闘える事になりました。これからが本当の闘いです。みなさんの応援が選手達を後押しします。

私もかつて`92年のバルセロナオリンピックの時に、現地に入って試合まで後10日と言うところで、稽古中にヒザをケガしてしまいました。その時、日本からのメッセージ、また現地にいらっしゃった日本人の方々からたくさんの励ましのメッセージを頂き、大変励みになりました。それがあのような状況の中で、金メダルを無事に獲る事ができた一つの要因になった事は間違いありません。

ちょっと、アテネと言う遠い地、そして時差がある国ですが、是非みなさん、日本柔道に期待して、応援して下さい!

さて、今回は「指導する側が自分を磨かなくては、指導される側はついて来ない」と言う事を綴ってみました。これは、私が日頃、古賀塾のコーチ陣に説いている事なのですが、本当にそうです。「現役を引退し、自分がもう戦う側ではない」と思った大間違いです。常に、自分を磨き、進化させていなくては、見ている側は気付きます。自分にとっても、吉村先生は常に自分に厳しい方でした。

今回はその辺りをまとめています。

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  今、教育の現場は荒んでいると聞く。正しく子供たちを指導する先生がいなければ、今後もこの荒廃は続くだろう。子供は誰もがまっさらな状態だと思う。そこにどんな色がついていくのか、その最初の部分ではよりよい導きが必要であろう。

 これは、学校だけでなく、子供を持つ親も同じだと思う。ある意味で親は子供を指導する先生、師匠でもあるのだ。また、会社で部下を持つ身になれば、誰もが指導する事に悩む事があるだろう。

自分の時代に上司から教えられたことをそのまま実践しても時代的に通用しなくなってくる場合もある。昔は部下が上司との関係に悩んでいた時代であったが、最近は上司が部下との関係にストレスを感じて悩む時代だと聞く。

 だが、基本として言えるのは、人を育てる、指導するという立場となれば、自分にも厳しくなければ相手はついてこないだろうということだ。指導される側の感受性をナメてはいけない。彼らは敏感に指導者の熱意を感じ、力量を判断すると思う。

もし、中高生時代にいい加減なコーチがついていたら絶対に私の成長はなかったと思う。それほど、吉村先生は自分にも厳しい先生であった。

 つまり、よき指導者であることも、自分を磨く修行なのだと感じている。指導者として、持つべき、備えるべき精神力というものもあると感じている。

『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 5月17日)




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