其の四十三 「現役時代の実績と指導者としての評価は別物」

こんにちわ!古賀です。ついに寒くなってきましたね。これからの時期は、暖かい鍋と焼酎、それも芋焼酎に尽きますね!

相変わらず、全国、色々なところで講演をさせて頂いていますが、昨日は谷本選手と都内の大学の文化祭でトークショーをやってきました!谷本選手の妹の育実選手、あと同じくコマツ柔道部の大坪選手も応援(?)に駆けつけてくれて、大変楽しくやらせて頂き、盛り上がったのではないでしょうか!?

さて、今回は、現役選手と指導者の違いについて書いてみました。ご覧下さい。

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 柔道の世界では過去に実績を残した人間が引退後に後進の指導にあたることが多い。
 だが、指導者となった瞬間から、過去の実績と指導は別だと考えることが必要だと思う。

 優秀な選手とは、常に周りの期待に応え「素晴らしい人物だ」と評価されていた人が多いような気がする。そして自分でも常に人格者でなければいけない、というプレッシャーを引退後にも感じている場合があるものなのだ。そうすると、自分の真意ではないことでも立場上、オーソドックスな正論を繰り返すだけになる。今までの自分に対する評価が変わってしまうのではないか、いい人物に思われないのではないか、と結局、自分の考え、意見というものを殺していく。要するに周りの目が怖い、自分が少しでも変に思われることを嫌うのだ。

 なかには、二重人格とも言えるような性格に変貌してしまう場合もある。
 自分の意見を言いたい欲求を抑えきれず「アレはダメだ」と他者には言いつつも、当の選手を前にすると「頑張れよ!期待しているぞ」と裏のなさそうな笑顔を見せる。

 常に「自分はいい人」というのを下の者にも上の者にも見せておかないと不安でしょうがなくなってしまうのだろう。下の人間を生かすよりも周りの評価が怖いために、自分を生かしたい、これまでの自分を壊したくないと考えてしまうのだろう。また、こういう指導者は得てして自分の辞書が世界共通の辞書だと考える傾向にある。

 体育会的な世界では、先輩であり実績のある人間の意見には逆らえない傾向がある。すでに、そのことを十分知っていながら、相手のことを考えないのは指導者として間違いだ。

 かく言う私もオリンピックで金メダルを取った頃は、それに近いものがあったと思う。いい子になっている自分がいた。目上の人に言われて、「違う」と思いつつも自分の意見を言えずに素直にしたがってしまったことがあった。だが、結局、自分のなかでそういう人間になることは窮屈になってしまった。

 今は、できる限り自分の経験を選手に話し、問題点があればそこを話し合うようにしている。無理強いはしない。大切なのは本人のやる気と意思なのだ。そのやる気を呼び起こすために努力するのが、指導者としての責任である。

『精神力』(角川書店)より抜粋

(次回更新 11月30日)


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