其の七十一 「ありがとうが気づかせてくれた」

皆さんこんにちは。寒くなったり暑くなったりと変わりやすい気候ですが、いかがお過ごしですか?
とうとう、ロンドンオリンピックまであと1年を切りました。
今回はオリンピックにまつわる「ありがとう」の言葉のエピソードをお話したいと思います。

私が金メダルという夢を実現できた1992年バルセロナオリンピック。
私は大会直前の稽古中に左膝靭帯損傷の大きな怪我を負いました。
大会後の2年間で怪我の治療を終え、27歳となり、現役か引退かを選択する立場にありました。

周囲からは金メダルの現役生活のまま引退した方がよいとの声が多数でした。
そんな中、私は再度世界の舞台を目標に現役続行を決意しました。
しかし、実際私にとって2年間のブランクは大変厳しい現実。
世界大会への第一ステップである大会までは約3カ月ありませんでしたし、
30台手前の私でしたから体力と技術が思い通どおりについていかない毎日が過ぎていきました。
ちぐはぐな状態のまま大会当日を迎え、結果は準決勝敗退。
結果よりもその姿は何とも恥ずかしい、金メダリストとは思えない情けない試合内容でした。

マスコミや柔道関係者からはすぐに引退の二文字が噂されました。
私はあまりにも不甲斐ない自分に、すぐに諦めて素直に引退勧告を受け止めました。
すぐに今まで懸命に支えてくれた田舎の母へ引退の思いを連絡しました。
電話に出た母は何かを予感していたかのようで、元気のよいいつもの声ではなく落ち着いた呼吸でした。

母から「試合お疲れさまでした」と一言。私からは「俺…引退するよ」と伝えました。
すると母は「今まで本当にたくさん応援させてくれて、楽しませてくれて…ありがとうございました。
そしてお疲れさまでした」といいました。
この言葉を耳にした瞬間に私は言葉をなくし、激しく胸を打たれる衝撃を感じました。

自分は本当に「ありがとうございました」と言われるほどの努力をしたのか?
母に自信を持って本当に努力をしたと言えるのか?母からの一言で、私は自分を恥じました。
そして、都合よく怪我やブランクや年齢にあまえていた自分が居たことに気付かされました。

「引退はいつでもできる。勝負の結果よりも、大切なのは勝負師として
自分に嘘のない限界なき本物の努力をすることなんだ」と。

数日後、母に連絡をとり「もう一度、真剣に勝負するよ」と伝えました。
母は「これからまた、かあさんの楽しみが増えたよ」と少し嬉しそうに応えてくれました。
常に嘘のない悔いのない努力をするよう生まれ変わった私は、その後の予選を勝ち残り、
日本代表として再度目標であった世界の舞台へ立つとともに、世界チャンピオンの金メダルをもいただくことができました。

母からの「ありがとう」が、本当の努力の大切さを気付かせてくれたのです。
指導者となった今、選手たちに「ありがとう」の言葉のパワーを素直に伝えています。


2011年9月2日
古賀 稔彦


【こちらのエピソードは、サムスン発行・季刊文化誌「いいひとに会う」で紹介されています】






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